2011年8月15日月曜日

重複障害児に対する自立活動2009

重複障害児に対する自立活動2009

<序論>
重度・重複障害児は、医療・福祉の現場では「重症心身障害児」と呼ばれ、重度の知的障害と重度の肢体不自由が重複している児童のことであり、IQが25以下で極めて運動の制約がある児童、あるいは有用な運動ができても行動異常、視覚や聴覚の障害を有する児童。またはIQが25以上50以下且つ何ら有用な運動ができない児童のことである。平成7年には、この「重症心身障害児」よりも重度で、濃厚な医療介護を継続的に必要とする「超重症児」の区分も定義されている。どちらも、家庭内での療育が困難であり、医師や看護婦による医療・療育活動が行われている。
多くは身体発育が不良で、生命維持がかろうじてできるか困難な状態であり、意志や欲求を表しにくく、周りの人とのコミュニケーションが取りにくい児童である
<重複障害児の自立活動>
自立活動は、他の特殊教育と同じく、5つの領域に分かれており、1.健康の保持、2.心理的な安定、3.環境の把握、4.身体の動き、5.コミュニケーションとなっている。指導する上で重要な点は、管理・保護的な支援は必要最小限に抑え、本人が自主的・主体的に活動するように温かく見守ってあげることである。そして、本人が自分の持てる力を最大限に発揮し、自立を目指すことが重要である。
1.健康の保持では、食事や睡眠、排泄等の日常の生活リズムを確立する。生活リズムを整えることは、2の心理的な安定にもつながる。食事摂取を中心とした栄養指導を行い、夜と昼の睡眠リズムを作り、自力ではできない排泄がスムーズに行えるよう促す。また、身体のいろいろな機能や感覚を鍛え、基礎的な体力をつけることが重要である。
2.心理的な安定をはかるには、教師が予め児童のことを良く知っている必要がある。新しい環境が苦手な児童を慣れさせたり、ストレス溜める前に音楽を聴いたり遊んだりして解消する。粘土で物を作らせるのも良い。児童に何かをさせるときは、精神構造が未分化のため、現実的、具体的、必要感の高い動機付けをしてやる。例えば、実際に農村へ連れて行き、畑や作物を見せ、音や臭いに触れるとよい。
3.環境の把握をしようにも、重症心身障害児の場合、障害に取って代わる手段の活用も難しく、認知や行動の手がかりとなる概念の形成も困難である。コミュニケーションをとる前に、まず、周りに誰がいて、どんな気持ちでいるのかを感じ取るところから始まる。
4.身体の動きでは、体育により、関節の可動域をゆっくり広げたり、行動領域を広げたりしていく。また、日常の諸動作について、多少でも子ども自身が直接関わるように働きかける。
5.のコミュニケーションは、障害の種類によって異なるが、基本は外界の物や人に自発的に働きかけるように促す。言語障害の場合、音声や発音に障害があれば、まず、正しい発音を聞き取り、話す訓練をおこなう。言語発達遅滞の場合、言葉は「教える」のではなく「育てる」気持ちで行う。聴覚に障害がある場合は、補聴器を利用し、発語の訓練を行う。また、単語のみから2語、3語文を作れるように、指導していく。
<まとめ>
一般校の「学校」のイメージを捨て、純粋な教える喜び、個別のニーズにこたえる姿勢が大切である。重複児も、ゆっくりとではあるが成長を続けており、発達を見守り、自立に向けて支援していく必要がある。


(2009年仏教大学教育学部講義レポートより転載)

学習障害の定義、分類、原因、関わり方について2009

学習障害の定義、分類、原因、関わり方について2009
<序論>
学習障害児の研究は、以前よりイギリスにて「ディスレクシア」という概念でとらえられてきてはいるが、まだ原因が不明な点も多く、二次的な障害との区別もつきにくい。日本では、障害別に対応しているが、イギリスでは子どものニーズ別に行っている。他の障害と同じく、早期発見と早期対応が望まれている。
<定義と分類>
学習障害(LD)の概念は、1960年代の初頭にアメリカで発祥した。文部科学省により「基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち、特定のものの習得と使用に著しい困難を示す」と定義されている。
WISC知能検査をもとにした分類によると、言語性能力が低い言語性LD、視知覚や空間認知の障害である非言語性LD、注意や記憶の能力障害のために理解や処理能力に障害のある注意・記憶性LDの3つがある。
また、医学的には、1994年発表のDSM-Ⅳをもとに、狭義の「読み書きそろばん(3R‘s)」の学習障害の他、運動能力やコミュニケーションの障害、さらに広義で自閉性障害などの広汎性発達障害を加える場合もある。このDSM-Ⅳをもとに分類すると、①読字障害②算数障害③書字表出障害④発達性協調運動障害⑤表出性言語障害⑥受容―表出性言語障害⑦音韻障害である。このうち狭義のLDは、①②③と特定不能の障害である。
<原因>
原因は、胎児期や出生後に浴びた化学物質や放射線などによる、中枢神経系の発達障害であるといわれている。情報処理機能不全により、処理能力に偏りがみられ、学習において基礎的能力の習得困難が引き起こされている。具体的には、聴覚認知、視覚認知に障害がみられたり、言語機能、つまり正しく聞き、発言し、言葉の概念をとらえ、文法や文章を認知することに障害がみられる。このため、冗談や比喩を苦手とする。また、短期記憶や作業記憶といった記憶系に問題を持つケースもある。
<LD児へのかかわり方>
情報処理機能不全というのは、情報を1つずつ連続的に処理していったり(継次処理)、あるいは1度に与えられた情報を空間的、全体的に統合していったり(同時処理)することに困難を示すということである。よって、指導内容や教材、学習法に個別の工夫が必要である。
ポイントは「動機付けを高める」「本人の水準にあった課題を見つける」「細分化して、スモールステップで行う」「あせらないで学習できるように速度はゆっくり行う」「処理がスムーズにできるよう、繰り返し学習する」「学習の過程や成果は、即時にフィードバックする」そして、認知特性に応じ、強い能力をいかして弱点を補い、長所を伸ばしてやる学習方法が望まれる。
具体的な指示で簡潔に説明し、社会生活に必要な課題(3R‘s)に焦点を当て、行動のコントロールを学んでコミュニケーション能力を高めていく指導が望ましい。二次障害の原因を作るので、子どもの心を傷つけない指導が必要であると思う。また養育者援助も必要である。
<まとめ>
LD児にとってわかりやすい授業というのは、誰にでもわかりやすいということである。原因で区別するよりも子どものニーズに応じて対応していくことは、現在の教育が抱える学力低下、不登校などの諸問題の解決につながると思う。LD児も向上心を持ちながらうまく学習できないことで悩んでいると言われている。早期からのLDの発見とその対応のマニュアルが望まれる。


(2009年仏教大学教育学部講義レポートより転載)

一般の教育(健常児)と病弱教育(病弱特別支援学校)とを比較2009

<緒論>
病弱教育の対象となるのは、「慢性の呼吸器疾患、腎臓疾患及び神経疾患、悪性新生物その他の疾患の状態が継続して医療又は生活規制を必要とする程度」ではある。実際には子どもがかかる可能性のある、ほとんどの病気が対象であり、「身体虚弱の状態が継続して生活規制を必要とする」子どもといえる。長期入院を強いられ、限られた生活空間の中、直接経験が不足したり偏っている。希望や可能性が広がる健常児とは異なり、病気、障害、学習や将来の不安を抱え、自信喪失や劣等感に陥りがちである。
ア.配慮や支援のあり方
子どもらしく生きられる時間の一つが、学習中であるといえる。まずは教師が病気の基礎知識について深め、子どもがどのような治療を受け、医師から子どもにどのような説明がなされ、本人がどのように自分の病気をとらえているのか、十分に知っておく必要がある。退院後の学校での悩みには、学習についていけない、通院や服薬が続くが他人に服薬を見られたくない、病気について根掘り葉掘り聞かれるのはいや、体育や遠足、運動会といった行事に参加できないなどがあげられる。一方で、注射や捕食の必要な生徒に対し、理解や協力が必要であり、他の生徒が糖尿病やてんかんについて、理解するよう働きかけることが望ましい
悪性腫瘍の子どもは、進行が早いため、対応に工夫が必要である。告知後は、死への不安や恐怖、絶望的な孤独感を味わっていることがあるため、精神ケア、後遺症や家族へのケアなど、医療、教育様々な分野の協力の元、トータルケアが望まれる。
イ.教科等の学習
病弱児にも満6歳からの義務教育を受けさせるべく、治療と並行して、早い時期から教育を行うことが望ましい。運動レベルは疾患により制限されている。道徳の時間には、進んで困難を改善・克服して強く生きようとする意欲、特別活動では少人数クラスの枠にとらわれず、学級や学年を合併するなどして、社会性や豊かな人間性の育成を図る。理科の実験をビデオにとって病室で見せながら説明したり、主治医や栄養士と相談して調理実習のメニューを決める、多重録音を利用し、楽器編成を変化させつつ音楽の合奏を行うなどの工夫。総合学習では「病院」など、福祉や健康をテーマにしたものが調べやすく興味を持てるのではないか。無理は控え且つ制限しすぎず行動させる指導を行う。
<病院や家庭との連携>
病院と学校との打ち合わせの仕方には3通りあり、1つは、学校の教育方針と病院の経営方針とのすり合わせを行うトップ同士。2つめは校務分掌と病棟との間、3つ目は学級担任と受け持ちの看護師である。特に深夜担当の看護師より日々の「申し送り」を聴くことが大切である。ただし、病院側の守秘義務のため、打ち合わせには子どもや家族の了解を得る必要がある。
家族は子どもを病気にしてしまったという罪悪感を抱えていたり、身体的、精神的、経済的負担がかかっている。長期入院の子どもの保護者のよき相談相手に学校がなるよう期待されている。学校行事で連帯を深めたり、行事案内や学級便りで普段の学習の様子を知らせておく。できれば毎日の様子を簡単でいいから伝える。保護者と連絡がとりにくい場合には、地域の児童相談者や民生委員の力を借りて行うとよい。
②個別の指導計画
教育課程は、知的障害を伴わない場合には普通校に順ずる内容であるが、個人差が大きいため、障害の状態や発達段階を的確に把握し、例えば2年越しの計画など、子ども一人ひとりに応じて編成する。病気によって生じた学習の空白を補うような工夫が必要である。
指導計画の第一段階として、「的確な実態把握」。主治医や保護者から得た生徒の病状や障害についての情報や観察を元に第二段階として「指導目標の設定」(PLAN)。実行(DO)。第三段階、「指導内容の検討」(CHECK)を行う。指導の内容は定期的に評価して改善し再度取り組む(ACTION)。
最重度の生徒では、日々のバイタルサインで実態把握する。体温(平熱を知る)、サチュレーションモニタによる心拍数、呼吸数のチェック、チアノーゼ(唇や顔、手足、つめなどが紫色)、てんかん、痙攣をチェックする。寒暖計を設置して参考にするのもよい。
<各教科>
診察・治療・訓練などで生じた学習の空白や遅れを補うように、進度を配慮する。つまり、基礎的、基本的内容を重点的に取り上げ、あるいは下学年の内容を取り入れた指導計画を作成する。
授業時間、学習場所、教材や教具などの制約をふまえつつ、習熟度に応じた指導計画を立てる。病状や体力に応じて「活動量」「活動時間」「休憩の取り方」を適切に定める。
<指導計画の書式例>
指導計画には、「医療活動、服薬、専門医の助言等」「家庭環境等」状況を把握するための資料、「保護者の願い」や「本人の願い」、それに対する「教師の思い」をつづる。比較のため、「学習当初の様子」を記し、「長期の指導目標」に沿った「学期の指導目標」を打ち立てていく。「健康の保持」のため、生活リズムや生活習慣の形成、病状の理解と生活管理にとりくむ。対人関係の基礎、障害に基づく困難を改善克服する意欲の向上をはかり「心理の安定」をさせる。
「健康の保持」「心理的な安定」「身体の動き」「コミュニケーション」といった自立活動の内容を各教科と関連させる。例えば、道徳と体育で健康の維持、体育で心理的な安定と身体の動き、国語でコミュニケーションを扱うなどが考えられる。
また、社会性や経験が乏しいため、総合的な学習の時間では、調査、見学、観察、実験、実習やコンピュータシュミレーション、インターネットでの疑似体験といった「体験的な学習」や「問題解決的な学習」を積極的に取り入れ、多様な学習形態を工夫する必要がある。
また、病気の改善、進行を防止するため生活の自己管理をおこなわせる。病気理解の指導は、プライバシー保護のため、個別指導が望ましい。
<喘息の子どもの指導計画例>
例えば喘息では、周囲の理解が病状にも影響する。呼吸困難の時には治療や看護を優先し、死ぬような息苦しさ、苦痛が緩和されるまで待つ。一律に休憩時間を決め、強制するのは良くないと思われる。体育においては、冷たい空気に触れたり、激しすぎる運動、アレルゲンの吸引は、発作を誘発するため好ましくない。縄跳び、水泳、剣道、体操など、呼吸を整えるリハビリとなるスポーツが望ましい。体力がつけば、制限を緩めて、どんどんチャレンジさせてやるとよいと思う。
<まとめ>
発達障害にも病弱・虚弱児にも共通することであるが、病名で方針をくくらず、子どもや保護者の望む支援を打ち立てることが最も重要であると思われる。


(2009年仏教大学教育学部講義レポートより転載)

病弱・虚弱児の主な疾患における生理・病理2009

病弱・虚弱児の主な疾患における生理・病理2009
<悪性腫瘍>
悪性腫瘍は小児期では小児がんと呼ぶ。小児がんの種類は、急性白血病、悪性リンパ腫、脳腫瘍、神経芽腫、ウィルムス腫瘍、横紋筋肉腫、骨腫瘍がある。
そのなかでも白血病は、白血病細胞が骨髄の中で増殖し、血液細胞の生成を阻害することにより生じる病気で、急性の場合、発熱、顔色不良、出血傾向があり、検査をすると、白血球、赤血球、血小板の3系統のうち、1つ以上の低下が見られる。治療は、抗がん剤を使う化学療法である。慢性骨髄性白血病は、骨髄移植により治療される。
悪性腫瘍の子どもには、精神ケア、後遺症、家族へのケアなど、医療、教育様々な分野の協力の元、トータルケアが望まれる。ターミナルケアは、進行が早いため、工夫が必要である。
<循環器疾患>
循環器疾患は、心臓の構造に生まれつき異常のある「先天性心疾患」と、病気による心臓後遺症である「後天性心疾患」とがある。
先天性心疾のうち、病弱・虚弱児教育の対象となるのは、現在の医療水準では手術しても修復しきれない疾患と、手術のできない疾患があげられる。例えば、心内膜床欠損では、心房の隔離が不十分のために逆流が生じる。この他、体循環が体循環で、肺循環が肺循環で完結してしまう、完全大血管転位症などがある。
学校では、運動レベルがAからEまでの5段階にて、運動レベルが定められており、体育の授業の参考にされている。
<腎疾患>
急性腎炎は多くが溶連菌感染後、急性糸球体腎炎である。まれに、細菌や水痘ウィルスムによる場合もある。治療は安静と食事療法が基本である。
慢性腎炎の定義は、WHOでは「蛋白質、血尿、高血圧を呈し、しばしば無症状のまま数年から数十年にわたって遷延し、徐々に腎機能障害が進行する病態」である。治療は、むくみや血圧、腎機能、尿蛋白の程度に応じて異なっており、適切な時期に透析を導入すべきである。腎不全の場合は、移植が望ましい。症状により管理区分が5段階あり、在宅、教室、軽、中程度運動、普通運動と徐々に制限が少なくなっていき、回復期には制限はない。
その他の腎疾患として、低蛋白血症とむくみを呈するネフローゼ症候群、先天性腎尿路異常、塩分制限や低蛋白食療法が必要な慢性腎不全などがある。
<気管支喘息>
気管支の狭窄が、下気道の場合、呼気性喘鳴、上気道では吸気性喘鳴がきかれる。アレルギー喘息の場合は、原因抗原や誘発因子を除去する。気管支拡張薬により、気道を確保する。大発作では、喘息死の危険もあるため、発作の程度を判断し、様子を見るか救急車で病院に運ぶか決める。
<糖尿病・内分泌疾患>
糖尿病はインスリンの作用不足、または分泌低下が原因で、高血糖となる疾患。1型から4型まであり、インスリンを分泌している膵臓のランゲルハンス島β細胞が破壊される1型、インスリン抵抗性と分泌不全が原因の2型、その他(3型)、妊娠糖尿病(4型)に分析。小児糖尿病は2型が1型の3倍と多い。1型は生涯続く病気であるが、2型は生活改善でよくなる。治療法には、インスリンの皮下注や、食事療法、運動療法などがある。学校では注射や捕食の必要な生徒への理解や協力が必要であり、他の生徒が理解するよう働きかけることが望ましい。
内分泌疾患には、下垂体のGH(成長ホルモン)分泌不全低身長、甲状腺の機能亢進症と機能低下症(クレチン症、橋本病)、副甲状腺の機能亢進症と機能低下症、副腎の「先天性副腎皮質過形成症」「クッシング症候群」、性腺の「思春期早発症」「思春期遅発症」などがある。低身長の子どもは、劣等感を抱き、自尊心が傷つきやすく、やる気が損なわれやすいため、注意が必要である。
膠原病とは、自己免疫反応による炎症が生じる病気である。若年性突発性関節炎(リウマチ)は、発疹や発熱を繰り返す。全身性エリテマトーデスでは、症状が多彩で広範囲であり、光線過敏をひきおこす。その他に、皮膚筋炎、多発性筋炎、全身性硬化症、高安症、ベーチェット病などがある。
<てんかん・神経疾患>
精神疾患は心の病気であるが、神経疾患は純粋に神経経路の疾患により、手足が麻痺したり痛みを感じなくなる病気である。
てんかんとは、慢性の脳の疾患で、大脳ニューロンが発作性の過剰放電を繰り返し、それに伴って、異常な反応(てんかん発作)を繰り返すものであり、WHO(世界保健機構)は、「脳腫瘍などの、脳占拠病変や系統的代謝障害による疾患は除外する」としている。
原因には、遺伝による「特発性」、胎生期および周産期の脳疾患(脳炎や脳症、脳奇形、脳血管障害、髄膜炎)、脳外傷などによる「症候性」、原因不明の「潜在性」とがある。
抗てんかん薬は、てんかん発作の閾値を下げ、発作を起こりにくくする(抑制率50~80%)が、最低でも2年間は飲む必要がある。外科治療では、大脳皮質の特定部位の切除、または表皮の5mmごとの切り込みを行う。
生徒がてんかんの発作を教室で起こした場合は、発作中に頭部を保護する他、発作を正確に観察するなど、冷静な対応が求められている。
てんかんの子どもには、基本的には他の子に対するのと同じように扱い、水泳中など特別な場合を除き、命に危険が直ちに及ぶことはないので、落ち着いて対処する。ただし、5分以内に痙攣がとまらなければ、救急車を呼ぶ。周囲の子どもには、「痙攣の発作で、まもなく元に戻って元気になるから心配しなくていいよ」と伝える。急な発作により、周囲の子どもが偏見を持ったり、あるいは怖がらないような配慮が求められると思う。
発作には痙攣性のものと、非痙攣性(欠神発作、脱力発作)のもの、全身発作から部分の発作のものなど、様々な症状が見られる。
そのほか、多発性硬化症、重症筋無力症なども、神経疾患である。
<まとめ>
教育現場では、医療機関との連携の下、ひとりひとりの子どもについて、どこまで運動が許可され、どこまで活動範囲を広げてよいか、あるいは、どんな治療や配慮が必要か、把握して指導計画を立てていくべきである。


(2009年仏教大学教育学部講義レポートより転載)

同和(人権)教育の意義と学校における同和(人権)教育の実践のあり方2009

同和(人権)教育の意義と学校における同和(人権)教育の実践のあり方2009

<緒論>
特別支援教育と同和教育は双方とも、「教育の原点」といわれている。それは、同和教育は時代とともに普遍化され、男女平等、特別支援教育、民族差別など、あらゆる人権問題の解決につなげられてきたからである。地域の住民と共につくり、一人一人にあった手作りの、愛のある教育。社会的に弱い立場の、マイノリティの子ども達の教育や就職の機会を拡大することは、憲法の教育権を保障することであり、ゆくゆくは経済格差を解消することを目指している。
<同和教育史の総括>
同和教育は、一人ひとりの子どもを大切にし、確かな学力の定着、生きる力の獲得を目指し、「平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身と共に健康な」児童や生徒を育てる取り組みである。
1960年代、学校教育での差別として、教師の赴任拒否、教師が児童を差別、そして長期欠席や不就学などの問題がとりあげられてきた。学校での補習は同和教育施策へと発展し、やがて、学力・進路保障への取り組みへと転換していった。低学力が低賃金へとつながり、厳しい生活が子どもの低学力を招く「差別と全般的不利益の悪循環」は、黒人差別やインドのカースト制度にも共通する。これらを改善するため、幼少時に新聞等の活字に触れ、朝ごはんをとる規則正しい生活を送るよう取り組み、教科書の無償制度が始まった。
<京都市内の学習形態の歴史>
京都市内では『抽出促進』『分別学習』『学習センター』という形態で指導が行われてきた。
同和地区を含む中学校では、同和加配教員をいかして、『抽出促進(指導)』が行われてきた。国語、数学、英語を中心に、2~3人が別室でマンツーマンに近い形で指導を受ける。しかし、教師の手厚い指導は、子どもの自立を阻むこともあった。一方的な知識詰め込み等の課題を克服するために、学級を単純に半分にした、少人数制の『分割授業』がおこなわれた。先生の目が届きやすく、発言の機会が増えた。だが、抽出指導のようなきめ細やかな指導はできないという課題が残った。
このような経緯より、部落の子どもにこだわらず、全ての子どもに視点を当てていった、『個人選択制習熟度別指導』へと発展することとなった。
京都市独自の『学習センター』のほうは、地域の施設に教員が出かけて補習を行う形式である。当初は、高校進学率を上げるための支援の補習が試みられた。やがて、自宅学習を支える家庭訪問形式となり、自立指導へと形態を変えていった。そして、空き部屋となったセンターでは、同和問題を学習するセンター学活が行われるようになった。
こうして、1970年代から20年間取り組んできた格差是正と自立促進ではあるが、同和地区の空洞化と、貧困化で再び状況が悪化しつつある。生活環境が改善されるにつれ、在日外国人の締め出しと生活向上による流出により、地区内の高齢化が進み、そこに、流出したものの何らかの困難を抱えて戻ってくるリターン流入現象が生じた。地区外の高学歴化も地域格差に拍車をかけた。地域格差を改善するためには、これまでのような同和地区だけの問題としてではなく、地域問題として広くとらえた、新しい街造りが必要であると考えられる。
<同和教育の意義>
本人の努力や責任とは関係無しに、不当に差別され、社会的な不利益を受ける部落差別。人と人とがともに生きていくために相手を尊重しながら自己主張する態度や能力を身につけ、プラス思考で自分らしく生きるために、同和教育は行われてきた。学力や対人能力を育てることが美しいセルフエステームを形成し維持することにつながる。
同和教育の必要性に対して、賛否両論があがっている。「解決済みである」「本校は同和地区を含まないので、同和教育を行わず人権教育を行っている」と同和教育を特定の人の特別な教育へと矮小化する学校もある。1995年総務庁調査において、生活、就労、教育、人々の意識などの面において、部落差別が今日もなお厳然と存在していることが明らかとなった。部落の保護者は、差別の伝え方に悩んでいる。子どもが地区にいる今は、差別の実感がわかない。地区から出たときに差別に負けないよう、教えておきたいがきっかけがつかめない。学校教育での同和教育は必要であるという。いじめやセクシャルハラスメントと同じく、「泣き寝入り」させないで声を聞いて欲しい。1993年の総務庁の全国調査では、40歳以上では知っている人の3割が家族から不確かな情報を得ている。同和問題を知る上で、義務教育で授かる知識が重要と感じられる。
<地域問題としての同和問題>
外国人差別だけではなく、アイヌ民族差別問題、沖縄や島さべつなど、様々な差別を同時に解決するべく、同和教育を地域の人権意識の改善の柱とすることが大切である。ユダヤ人差別にあったように、初めは陰口や落書き、回避行為であっても、その芽を見逃していると身体的攻撃へと発展していく。
京都の千本地区では、学力保障としてさきほどふれた『個人選択制習熟度別分割授業』を行っている。子ども達は自分でクラスを選ぶことで、授業が理解しやすくなり、毎時間「やればできる」と言う達成感を味わっている。また、前述の学習センターでは、「まちづくり」を学んでいる。例えば、空き地をみんなの広場として再生し、どのように飾っていくかみんなで意見を出し合っている。その結果、空き地に大きな壁画が描かれたり、たくさんの花々が植えられて、地域の人の憩いの場所へと変貌している。
総合学習では、いろいろな人から生き方を学ぼうと、エイズについて学び、差別をなくす啓蒙パンフレットを作成したり、お年寄りの配食ボランティアに参加し、同和地区のお年寄りのお話を聞いたり、パラリンピックのビデオを鑑賞して障害のある人について学び、今後の地域のあり方を模索しつつ自分の生き方を見つけ、自分の将来を考える。
<考察>
以前住んでいたW県では、同和地区と他の地区を分け隔てせずに街づくりを進め、生活環境や教育を改善していき、部落出身者を積極的に公務員に採用した。全国から視察に来るような「ドーン計画」成功の裏で、同和教育の不足から、他地域からの移住者による「なぜか役場の職員の質が低い」という「差別発言」をひきおこしている(市町村民の人権意識の高い役場の職員は、人権感覚に揉まれており、知的会話ができる市民の多い職員は丁寧な対応である。市町村民が役場職員のコミュニケーションの質を高めている点を皆、忘れている。高級料理店、生きのいい鮓や刺身の店を鍛えるのは、味の肥えた客の厳しい舌である)。ドーン計画の歴史を学ぶことが、こういった暴言を防ぐのではないか。つまり、「寝た子を起こすな」では真の平等、共生社会にはなりえないのである。学校教育の、地域への果たす役割は、これからますます大きくなっていくことと思われる。

(2009年仏教大学教育学部講義レポートより転載)

特別支援の生活中心・子ども中心の授業づくり、学習指導案作りの特徴2009

特別支援の生活中心・子ども中心の授業づくり、学習指導案作りの特徴 2009
<序論>
戦後の知的障害教育は、初めは各教科の枠内で学年段階を下げる反復指導が行われていたこともあったが、米国の経験主義教育の影響を受け、昭和20年代から実生活重視の「生活主義」教育へと方向転換した。これが総合学習、自立活動の原点であるが、「養護・訓練」が受動的なニュアンスを含むのに対し、生きる力をはぐくむ「自立活動」では、子ども自身が主体的に行動し、一人一人の障害や発達に応じたカリキュラムで行われる。
特別支援教育は、あるべき教師像も教育目標も一般と同じである。しかし、早期支援と障害者の自立支援の観点から、教育、福祉、医療、労働等の分野の専門家が一体となり、乳幼児期から学校卒業まで一貫した「個別の教育支援計画」を策定することが進められている。
<具体的な共通点と相違点>
一般校と特別支援校との比較を行う。一般校にも障害を持つ児童生徒が通級、特殊学級におり、今日では障害の程度だけではどちらの学校を選択すべきかといった区分はない。特別支援学校は通常の40人学級より少ない。8人以下の教室で、一人一人工夫された教材教具を使用するなど、きめ細やかな指導が期待されるが、教育課程はほとんど同じで、ボランティアや社会奉仕のかわりに自立活動や社会参加が加わっている。授業時数は共に年間35週で、小学校(部)45分、中学校(部)50分授業も等しい。視覚障害児・聴覚障害児で、知的障害を伴わない場合は、教科の目標、内容は一般に順ずるとされている。
ただし、学習形態に関しては、一般校と異なる点が多い。重複障害者に関しては、各教科や総合学習を自立活動主体に振り替えることができ、知的障害者に関しては、教科・道徳・総合学習、自立活動の枠をとりはらって、合わせて教える「合科」が認められている。一般校が学年別に目標や内容が詳しく細かく定められ、教科書があるのに対し、特別支援学校では目標や内容を障害や発達段階に合わせるなど、ケースバイケースである。視覚障害児や聴覚障害児では、視覚を補う器具や少ない聴力を利用する機器の取り扱いを学ぶ必要があり、知的障害児では、作業学習(木工、紙工、陶芸、食品など)があり、習得のスピードも一般校よりゆっくりである。特別支援学校の教員は、一般校の免許を持ち、「教職に対する強い情熱」「高い専門性」「統合的な人間力」を持つ理想の教師像に加え、教育の原点であるきめ細かい観察と配慮ができ、独自性、共通性を使い分ける必要がある。
<考察>
障害児に向き合うためには、手探りで根気よく行うのではなく、効率的、効果的に指導する専門性が必要である。例えば、心身のケアの仕方、病気に対する医学的知識、自立活動の進め方などである。障害児は老化で機能が衰えていくお年寄りとは異なる。障害のために、発達すべき社会性や知識の吸収が妨げられているに過ぎない。若い彼らのために、「集団行動」「セルフコントロール」「他者の視点に立つこと」「コミュニケーション能力」「生活力」のスキルが高められるよう、教育の原点に返って指導しなくてはならない。
どちらかといえば、帰国子女を日本社会になじませるように、長所を伸ばし、短所を補い、子どもの立場に立った学習指導案を作る必要がある。一般校よりも一層、しっかり練られた指導案を作り、子どもの意欲を引き出せるよう、その子に応じた最適のレベルの課題を設定し、達成する喜びを味合わせていくような授業が望まれる。


(2009年仏教大学教育学部講義レポートより転載)

2011年6月4日土曜日

2008年学習によって人間は何を得るか(2011年加筆)

学習によって人間は何を得るか。

教育の役割とは、子どもをあるべき姿に育て、文化を継承させることにある。子どもは遺伝的に親から受け継いだ能力の他、個性がある。
学習のものにも遺伝的に個体差があり、さらに学習の仕方によって能力に個人差が生まれる。こうして、親から受け継ぐ以上の何かが得られるのが学習である。
また、遺伝学では、「カエルの子はカエル」とは限らず、親子でも能力に違いがあらわれることが確かめられており、例えば雑種強勢のように、多様な遺伝子の組み合わさったFの方が両親の形質よりも優れている現象が多々見られる。

子ども達には、結果を予想する、つまり想像する力が必要であり、失敗を未然に防ぐ力が必要である。物事を解決しようとする力、つまり、前向きに取り組む力が必要である。それには、数多くの失敗より学ぶ経験と、未経験のことであっても、過去の事例より学び取る力が必要である。
教育においてこうした力を身につけさせる。広く浅く教養を身につけ、得意なものや興味深いものを深く学び、子ども達をあるべき姿に近づけていくことが、教育の役割である。
必要な力を鞭で叩き込むのではなく、「成長への意欲を持たせるべきだ」と説いたのは、日産社長のカルロス・ゴーンである。「自分の能力を発揮したいと、子どもが自発的に思わなけばならない」という子どもが主体の教育が、現在の日本の教育の理想となっている。

学習の内容と方法には、古代、中世、近世、現代では大きく異なっている面と、共通する面がある。かつて、詩や歌が教養であると評価された時代では、耳で聞いて書いて読んで身体の五感で覚えてきた。現代でも、教師の後に続いて復唱する、ノートをきちんととる、DVDや実験実習で体験するなど、五感を意識した学習が望ましい。
音楽やスポーツのコーチング、習得のマニュアルも、現代の教育に参考になろう。グレードを作って小さな目標を達成させる、身体の動きと理論とを並行して覚える、忘れにくく実践に生かしやすい学習方法である。
個人で調べる、塾やサークルの小グループで学ぶ、一斉授業で学ぶなど、学ぶ方法により向いている学習内容がある。自発性を伸ばすには、少人数や個人の方が望ましく、得意なものを伸ばすことに優れている。大教室の一斉授業では、他の生徒と教師との係わり合いに触れることで、学習への意欲が増し、多様な考え方を学習することに優れている。広く浅く教養を身につけるならば、一斉授業は向いているであろうが、子どもの吸収の仕方が均一とは限らない。教師や教科書、時代の流行に左右され、意外に偏ることも考慮しなければならない。教師は個性ある授業を行いながら、中立の立場を守り、生徒は教師や教科書を鵜呑みにするのでなく、自分の意識や意見と照らし合わせ、考えながら学ばねばならない。よき生徒がよき教師を育て、よき教師がよき生徒を育てる。

人によって考えが違うことを尊重し、互いに影響を及ぼしあって暮すため、人付き合いのために教養というものが必要である。歴史は過去の経験を授け、地域や職業観の違いを乗り越えて、共に働き生活するために、教養が必要である。親と同じ職業を継ぎ、同世代、同じ集落で一生を終える昔と異なるのは、出身や宗教、哲学の異なる人が集まって大きな会社や地域社会を形成するようになったことである。
人間は、学んでこそ人間であり、学習を止めれば人間としての成長も止まる。めりはりのある楽しい人生を送るためには、いくつになっても学ぶと言う行為は必要である。