2011年6月4日土曜日

2008年学習によって人間は何を得るか(2011年加筆)

学習によって人間は何を得るか。

教育の役割とは、子どもをあるべき姿に育て、文化を継承させることにある。子どもは遺伝的に親から受け継いだ能力の他、個性がある。
学習のものにも遺伝的に個体差があり、さらに学習の仕方によって能力に個人差が生まれる。こうして、親から受け継ぐ以上の何かが得られるのが学習である。
また、遺伝学では、「カエルの子はカエル」とは限らず、親子でも能力に違いがあらわれることが確かめられており、例えば雑種強勢のように、多様な遺伝子の組み合わさったFの方が両親の形質よりも優れている現象が多々見られる。

子ども達には、結果を予想する、つまり想像する力が必要であり、失敗を未然に防ぐ力が必要である。物事を解決しようとする力、つまり、前向きに取り組む力が必要である。それには、数多くの失敗より学ぶ経験と、未経験のことであっても、過去の事例より学び取る力が必要である。
教育においてこうした力を身につけさせる。広く浅く教養を身につけ、得意なものや興味深いものを深く学び、子ども達をあるべき姿に近づけていくことが、教育の役割である。
必要な力を鞭で叩き込むのではなく、「成長への意欲を持たせるべきだ」と説いたのは、日産社長のカルロス・ゴーンである。「自分の能力を発揮したいと、子どもが自発的に思わなけばならない」という子どもが主体の教育が、現在の日本の教育の理想となっている。

学習の内容と方法には、古代、中世、近世、現代では大きく異なっている面と、共通する面がある。かつて、詩や歌が教養であると評価された時代では、耳で聞いて書いて読んで身体の五感で覚えてきた。現代でも、教師の後に続いて復唱する、ノートをきちんととる、DVDや実験実習で体験するなど、五感を意識した学習が望ましい。
音楽やスポーツのコーチング、習得のマニュアルも、現代の教育に参考になろう。グレードを作って小さな目標を達成させる、身体の動きと理論とを並行して覚える、忘れにくく実践に生かしやすい学習方法である。
個人で調べる、塾やサークルの小グループで学ぶ、一斉授業で学ぶなど、学ぶ方法により向いている学習内容がある。自発性を伸ばすには、少人数や個人の方が望ましく、得意なものを伸ばすことに優れている。大教室の一斉授業では、他の生徒と教師との係わり合いに触れることで、学習への意欲が増し、多様な考え方を学習することに優れている。広く浅く教養を身につけるならば、一斉授業は向いているであろうが、子どもの吸収の仕方が均一とは限らない。教師や教科書、時代の流行に左右され、意外に偏ることも考慮しなければならない。教師は個性ある授業を行いながら、中立の立場を守り、生徒は教師や教科書を鵜呑みにするのでなく、自分の意識や意見と照らし合わせ、考えながら学ばねばならない。よき生徒がよき教師を育て、よき教師がよき生徒を育てる。

人によって考えが違うことを尊重し、互いに影響を及ぼしあって暮すため、人付き合いのために教養というものが必要である。歴史は過去の経験を授け、地域や職業観の違いを乗り越えて、共に働き生活するために、教養が必要である。親と同じ職業を継ぎ、同世代、同じ集落で一生を終える昔と異なるのは、出身や宗教、哲学の異なる人が集まって大きな会社や地域社会を形成するようになったことである。
人間は、学んでこそ人間であり、学習を止めれば人間としての成長も止まる。めりはりのある楽しい人生を送るためには、いくつになっても学ぶと言う行為は必要である。

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