2011年6月4日土曜日

2008年これからの日本にどんな大人が求められているか(2011年)

これからの日本にどんな大人が求められているか。

「子どもとは何か」、男と女が結婚して出来る小さな人間のことを、「親」という概念に対して「子ども」と呼んできたが、社会において子どもという人間に対する明確な定義は実はない。子どもとは、時代によっていろいろ考えられており、子どもでない人間を現代は大人と呼ぶ。
ちなみに、「大人とは何か」も、時代によって色々考えられているが、東西共通しているのは、中央集権の大規模国家では、生殖能力のある男性が「おとな」であった時代が長かった。元服する、青年グループに入る、集落で一人前と認められた男性に対する呼び方であった。その頃期待されている大人とは、文字通り、女性や子ども、老人よりも体格や精神面で大きいことが求められ、一人につき1人分と定められた大きな責任を負う存在であった。また、女性や子ども、老人にまで1人分の税や労働を課した国家は滅びていったはずである。というのは、かつて、女性は初潮を迎えると死ぬまで出産授乳を続け身体を酷使し、老人とは無理のきかなくなった30代、40代以上であった。何の社会保障もなければ、頭数で税や労働を課した国家は、若い世代が育たず、知識のある老人が弱って死に、寿命の短い国家となったはずである。

現代では、子ども、女性、老人の人権は守られている。そして、寿命は平均80歳前後となり、女性で妊娠授乳中にある期間が人生においてわずかとなり、子どもには、9年間、ゆくゆくは12年間の義務教育が課せられようとしている。求められる大人像は、戦前、戦後、21世紀と時代と共に変わってきている。かつては、20代女性に求められる大人像と、80男性に求められる大人像とでは、大きな格差があった。今では、80歳男性でも若い女性と恋愛し、結婚し、20代女性でも、独身であったり、個人の自由が大人と言う概念を豊かにしている。それでも、老若男女共通して求められる大人というものについて、考えてみる。

法律における大人とは何か、精神的に大人とは、経済的に大人とは何か。

義務教育を終えると、働かねばならない。中卒で働く青年は、経済的に大人である。16歳で結婚した女性は、社会的、精神的に大人であると扱われ、18歳になれば、若者は全て自動車の免許を法律で許される。20歳になると、酒もタバコも自制できる精神的な大人として、法律で許可される。
こうして、大人には自由が多い。身体や精神が成長して成熟しているため、自分で物事を決定できる。知識や社会常識が増加し、子どもに比べて判断する力が大きい。経済的に自立していれば、財産(二十九条)を管理し、金銭を使う自由があるが、働き(二十七条)、金銭を計画的に使いながら税を納め(三十条)る責任を負う。
大人になり、年齢を重ねるほど年相応の社会的振る舞いを欲求され、重い責任を負わねばならない。そのために大人は、失敗を恐れ、伝統を重んじ、子どもから見れば型にはまった魅力のない人間となりがちである。
逆に、無責任で自己中心的な大人が増加する傾向にあるのも事実である。自分や自分の家族さえ幸せであればよいと、ゴミをところかまわず捨てる、自転車や自動車を道路に放置して通行を妨害する。税金や年金など、お金は払うだけ無駄、損、社会保障は受けられるだけ受けるという損か得かで判断する大人。見つからなければ何をしても心が痛まない。自分の価値を高めるために、他人をさげずみ、蹴落とす。責任や伝統にこだわっていると自分のプライドが保てない、そんな大人が、学歴や貧富に係わらず増加している。
今、子どもと共に、時代の変化についていける柔軟な大人、且つ、子どもの手本となるような、責任ある大人が求められている。

地域や職場で求められる大人とは何か。
地方の農村では、家族ぐるみの深い付き合いが大人には求められている。助け合い、他人に借りを作らない関係、平等な関係を築くのが理想とされている。一方で、都市部の会社員や自営業では、個人で完結するうわっつらの付き合い。家族間であっても本音を隠し、まして他人には係わらない。自分の長所も短所も目立たせず、要領よく楽に生きる。あるいは、夫婦や親子がよりかかりあい、互いに精神的、経済的に自立せずに生きていく。
今、他人を尊重し、束縛せず、互いに助け合い、且つ精神的に経済的に自立して生きていく大人が、求められている、

大人は、子どもの手本である。本人に自覚はなくとも、子どもは周りの大人の立ち居ぶる舞を見て、話し方、人との接し方、社会常識を学ぶ。
大人は、子どもの前で本音を話しすぎである。人間とは、社会とは、建前でふるまい、モラルに反する子どもを、自信を持ってきちんと建前で叱るべきである。

21世紀の日本にふさわしい、アジアの風習にあった、新しい日本の「大人」像が形成され、定着するには、まだ時間がかかりそうである。若いほど価値がある、若いほど稼いでよい暮らしが出来る傾向が、大人が「大人としてのプライド」を保てない原因の一つである。しかし、学歴や財産、地位に関係なく大人が「大人としてのプライド」を保ち続けられる社会は、心の持ちようで可能である。
弱者や他人への「思いやり」、家族への、「隣人愛」、歯の浮くような、古びた道徳観が見直されてもそろそろよいのではないか。精神的満足は、金や地位では満たされない。人が人として尊重されてこそ、満たされ、他人への心の余裕が生まれる。“人権意識の進んだ長寿国家”日本にて、“老若男女共通して求められる大人のありかた”について、学校教育はなにができるだろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿