2011年8月15日月曜日

知的障害児が被る社会的不利2009

知的障害児が被る社会的不利2009
<序論>
知的障害の原因は、遺伝子の異常や中毒、感染、外傷などがあるが、4分の3が現代医学では特定できないと言われている。また教育的・文化的環境に恵まれない場合にも、精神発達は遅滞するといわれている。現在の日本では、知的障害者を“発達の遅れ”とし、脳髄に何らかの障害(器質的障害)を持つことが要件に挙げられている。これに対し、アメリカ精神遅滞学会AAMDでは、「全般的知的機能が有意(危険率5%未満)に低く、適応行動の障害を伴っており、かつ18歳以下に現れる」とし、脳の器質的障害については定義に含めず、3つの領域のうちの2つ以上が制約を受ける“特定の機能障害”としてとらえられている。3つの領域のうち1つは、言語、読み書き、金銭の概念、自己管理といった概念スキル、2つ目は対人関係、責任、自尊心、規律を守るといった社会的スキル、3つ目は、日常生活活動、職業スキル、安全な環境の維持と言った実用スキルである。
<知的障害児の学習の特性>
知的障害児は、抽象化、一般化の思考が劣るとともに、他人の言動を理解し、自他の関係を調整していくことに困難がある。例えば、短期記憶の障害のために、諸経験事象間に連続性が見られず、学習行動上の障害をひきおこすとされる(長い会話の最初の内容を、会話の最後の方で忘れるために、複雑な思考が妨げられているのではないか?)。これらの知能や概念形成面での発達特性の他に、体格や運動機能面においても遅れの状態を示す。また、性格・行動面においては、好奇心の乏しさ、不活発で無気力、自身欠如、首尾一貫しない言動、衝動的行為、感情の不安定、仲間との交流の欠如などの特徴が見られる。ただし、ボーダ-ライン付近の子どもの場合、知的障害のあるなしの区別は一般的に難しく、知能テストの方法や統計処理の仕方によって、新たな障害児が発生することもあると念頭に入れねばならない。
脳の心理機能を入力、処理、出力の3つに括ってとらえると、知的障害児は、記憶容量(ワーキングメモリ)が低いために入力→処理→出力の操作である記憶の「固定」や「再生」が苦手である。また、注意持続時間や選択的注意時間が短く、ながら作業を苦手としている(記憶保持時間が短いために、脳の一時記憶の部分を、分割使用しにくいと思われる)。
とりわけ、複雑図形の模写と再生、物のグループ化、順番並べ、数と量の概念などを苦手としているが、これも記憶容量に負荷がかかりすぎるためであり、例えば単純に数のカウントはできても、事物を数えながら取り出すといったことが苦手である(取り出している間に忘れる、あるいは、そのカウントが取り出す前の数値か、あとの数値かの記憶を保持できないと思われる)。
これらの苦手を本人はかなり意識しており、多くの失敗の経験のため、無力感を感じてしまっている。どうせ自分はと過小評価したり、逆にいや自分は何でもできると強がって、投げやりに何でもやろうとしてしまう。
また、認知や学習課題は、外部の大人の教示や態度などを手がかりに行おうとする。そして、問題解決そのものに喜びを見出すのではなく、周囲の反応や外的な報酬を期待する。このような傾向は施設の子どもに顕著である。施設では、大人に何度も無視をされるため、初対面の大人には心許さず用心深く、なれた大人には媚びて過度に依存する。こうした傾向は一次的な障害ではなく、二次的に形成されたものである。
<障害の定義>
WHO(世界保健機関)の国際障害分類によると、障害は3つの次元にとらえられる。一次的な「機能・形態障害」、二次的な「能力障害」、三次的な「社会的不利」で、構造的にとらえられている。2001年のICFによると、人間の生活機能(心身機能や身体構造、生活、人生)は、「健康状態」「環境因子」「個人因子」との相互関係であるという。生活機能のうちの心身機能(生理的)と身体機能(解剖学的)機能の障害とし、背景として環境因子(「物理的環境」「社会的環境」「人々の社会的な態度」)からの作用を考えている。生活機能の障害は、否定的に見ず、プラス面より見るようにして環境からの働きかけを考慮している。つまり、環境因子が阻害因子として働く“障害”を取り除く、『支援により生活環境を改善して社会的不利益を減らすこと』のような教育が望まれる。
<知的障害児を取り巻く周囲の反応>
状況に応じて相手にあわせていったり、ごまかしたり、要領よく立ち回れない知的障害児は、なんらかの誤解が生じたとき、自分の行動や感情を分かりやすく周囲に説明することが苦手である。悪く受け取られたままずるずると悪循環に陥っていくと思われる。
新奇な刺激に対して動機付けが低く、反応が意図と異なる場合があり、理解していないとか態度がおかしいと誤解される可能性がある。この子はこんな程度とあきらめ、障害のために運動や学習が伸びないと周囲が思いこむと、できることまで本当にできなくなってしまうと思われる。日常と異なるスケジュールに適応が難しい自閉症は、自我形成の障害である。例えば大人が抱き上げようと手を伸ばしたとき、自分の体を客観的にとらえられないうえに相手の意図がわからず、自閉症の子どもは抱いてもらおうと身構えることができない。また、ごっこ遊びができず、遊んでいても現実の世界と密着している。このような子どもを見たとき、周囲の人は、自己中心的だとか、他人とかかわりたがらないとか、自分と相手との関係が混乱しているかのように見える。
軽度の知的障害の場合、こうした周囲の状況がストレスとなって、問題行動へとつながる。周囲は、こどもが意図を汲んだり、変更に対応できないことが理解できず、趣味の偏りであるとか、ストレスによる問題行動であるとか、目立つ行動にばかり目を奪われ、社会に参加するための支援が得にくい。
重度の知的障害の場合は、大人の側が積極的にコミュニケーションを図らなければ、伝達意思がないと判断されてしまいがちである。さらに、感情までないと誤解され、心ない態度やことばを投げられることもある。
<解決方法>
知的障害児は、記憶の仕方や取り出し方が苦手であるので、記憶の仕方を教えてやり、視知覚能力に合わせた課題を反復し、繰り返し思い出すリハーサル方略が効果的である。また、問題行動を軽減する機能的コミュニケーションや、予め分類訓練をしてから、複数の手がかりを元に同時に処理を行う作業を行うなど、ウォーミングアップも大切である。声に出しながら行動するのもよい。
言葉を学ぶときは、英語の学習を思い出してみるとよい。「Hou are you?」「I am fain.」のような決まったせりふの繰り返し。「This is a pen.」「I play piano.」のような使いやすいパターンの構文から学んだはずである。決まった挨拶のせりふを毎日繰り返し、コミュニケーションのきっかけを与え、相互交渉を促進させるとよい。日本語も使用し易いパターンの構文から入る。「 ~がある」「 ~を~する」といった構文が望ましい。障害のあらわれ方は様々であり、個人差が激しいので一律に論じることはできないが、教科書にあるように、一時的な障害の側面よりも、二次的に派生する発達障害の諸側面のほうを重点的に改善する教育のほうが効果があり、考慮すべきであると思う。


(2009年仏教大学教育学部講義レポートより転載)

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