2011年8月15日月曜日

同和(人権)教育の意義と学校における同和(人権)教育の実践のあり方2009

同和(人権)教育の意義と学校における同和(人権)教育の実践のあり方2009

<緒論>
特別支援教育と同和教育は双方とも、「教育の原点」といわれている。それは、同和教育は時代とともに普遍化され、男女平等、特別支援教育、民族差別など、あらゆる人権問題の解決につなげられてきたからである。地域の住民と共につくり、一人一人にあった手作りの、愛のある教育。社会的に弱い立場の、マイノリティの子ども達の教育や就職の機会を拡大することは、憲法の教育権を保障することであり、ゆくゆくは経済格差を解消することを目指している。
<同和教育史の総括>
同和教育は、一人ひとりの子どもを大切にし、確かな学力の定着、生きる力の獲得を目指し、「平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身と共に健康な」児童や生徒を育てる取り組みである。
1960年代、学校教育での差別として、教師の赴任拒否、教師が児童を差別、そして長期欠席や不就学などの問題がとりあげられてきた。学校での補習は同和教育施策へと発展し、やがて、学力・進路保障への取り組みへと転換していった。低学力が低賃金へとつながり、厳しい生活が子どもの低学力を招く「差別と全般的不利益の悪循環」は、黒人差別やインドのカースト制度にも共通する。これらを改善するため、幼少時に新聞等の活字に触れ、朝ごはんをとる規則正しい生活を送るよう取り組み、教科書の無償制度が始まった。
<京都市内の学習形態の歴史>
京都市内では『抽出促進』『分別学習』『学習センター』という形態で指導が行われてきた。
同和地区を含む中学校では、同和加配教員をいかして、『抽出促進(指導)』が行われてきた。国語、数学、英語を中心に、2~3人が別室でマンツーマンに近い形で指導を受ける。しかし、教師の手厚い指導は、子どもの自立を阻むこともあった。一方的な知識詰め込み等の課題を克服するために、学級を単純に半分にした、少人数制の『分割授業』がおこなわれた。先生の目が届きやすく、発言の機会が増えた。だが、抽出指導のようなきめ細やかな指導はできないという課題が残った。
このような経緯より、部落の子どもにこだわらず、全ての子どもに視点を当てていった、『個人選択制習熟度別指導』へと発展することとなった。
京都市独自の『学習センター』のほうは、地域の施設に教員が出かけて補習を行う形式である。当初は、高校進学率を上げるための支援の補習が試みられた。やがて、自宅学習を支える家庭訪問形式となり、自立指導へと形態を変えていった。そして、空き部屋となったセンターでは、同和問題を学習するセンター学活が行われるようになった。
こうして、1970年代から20年間取り組んできた格差是正と自立促進ではあるが、同和地区の空洞化と、貧困化で再び状況が悪化しつつある。生活環境が改善されるにつれ、在日外国人の締め出しと生活向上による流出により、地区内の高齢化が進み、そこに、流出したものの何らかの困難を抱えて戻ってくるリターン流入現象が生じた。地区外の高学歴化も地域格差に拍車をかけた。地域格差を改善するためには、これまでのような同和地区だけの問題としてではなく、地域問題として広くとらえた、新しい街造りが必要であると考えられる。
<同和教育の意義>
本人の努力や責任とは関係無しに、不当に差別され、社会的な不利益を受ける部落差別。人と人とがともに生きていくために相手を尊重しながら自己主張する態度や能力を身につけ、プラス思考で自分らしく生きるために、同和教育は行われてきた。学力や対人能力を育てることが美しいセルフエステームを形成し維持することにつながる。
同和教育の必要性に対して、賛否両論があがっている。「解決済みである」「本校は同和地区を含まないので、同和教育を行わず人権教育を行っている」と同和教育を特定の人の特別な教育へと矮小化する学校もある。1995年総務庁調査において、生活、就労、教育、人々の意識などの面において、部落差別が今日もなお厳然と存在していることが明らかとなった。部落の保護者は、差別の伝え方に悩んでいる。子どもが地区にいる今は、差別の実感がわかない。地区から出たときに差別に負けないよう、教えておきたいがきっかけがつかめない。学校教育での同和教育は必要であるという。いじめやセクシャルハラスメントと同じく、「泣き寝入り」させないで声を聞いて欲しい。1993年の総務庁の全国調査では、40歳以上では知っている人の3割が家族から不確かな情報を得ている。同和問題を知る上で、義務教育で授かる知識が重要と感じられる。
<地域問題としての同和問題>
外国人差別だけではなく、アイヌ民族差別問題、沖縄や島さべつなど、様々な差別を同時に解決するべく、同和教育を地域の人権意識の改善の柱とすることが大切である。ユダヤ人差別にあったように、初めは陰口や落書き、回避行為であっても、その芽を見逃していると身体的攻撃へと発展していく。
京都の千本地区では、学力保障としてさきほどふれた『個人選択制習熟度別分割授業』を行っている。子ども達は自分でクラスを選ぶことで、授業が理解しやすくなり、毎時間「やればできる」と言う達成感を味わっている。また、前述の学習センターでは、「まちづくり」を学んでいる。例えば、空き地をみんなの広場として再生し、どのように飾っていくかみんなで意見を出し合っている。その結果、空き地に大きな壁画が描かれたり、たくさんの花々が植えられて、地域の人の憩いの場所へと変貌している。
総合学習では、いろいろな人から生き方を学ぼうと、エイズについて学び、差別をなくす啓蒙パンフレットを作成したり、お年寄りの配食ボランティアに参加し、同和地区のお年寄りのお話を聞いたり、パラリンピックのビデオを鑑賞して障害のある人について学び、今後の地域のあり方を模索しつつ自分の生き方を見つけ、自分の将来を考える。
<考察>
以前住んでいたW県では、同和地区と他の地区を分け隔てせずに街づくりを進め、生活環境や教育を改善していき、部落出身者を積極的に公務員に採用した。全国から視察に来るような「ドーン計画」成功の裏で、同和教育の不足から、他地域からの移住者による「なぜか役場の職員の質が低い」という「差別発言」をひきおこしている(市町村民の人権意識の高い役場の職員は、人権感覚に揉まれており、知的会話ができる市民の多い職員は丁寧な対応である。市町村民が役場職員のコミュニケーションの質を高めている点を皆、忘れている。高級料理店、生きのいい鮓や刺身の店を鍛えるのは、味の肥えた客の厳しい舌である)。ドーン計画の歴史を学ぶことが、こういった暴言を防ぐのではないか。つまり、「寝た子を起こすな」では真の平等、共生社会にはなりえないのである。学校教育の、地域への果たす役割は、これからますます大きくなっていくことと思われる。

(2009年仏教大学教育学部講義レポートより転載)

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