2011年5月6日金曜日

2008年8月10日 子どもの多様性にどのように対応するか

2008年8月10日

人類は少人数の子孫を大切に育て、長期間教育することで文化を継承し、繁栄して来た。現代日本は少子高齢化が進み、益々貴重な若者への手厚い教育が望まれる。本来、生物は形質が多様であり、一人一人の能力もまた、多様である。進路の選択や生き方の選択の責任は生徒や保護者にあるとはいえ、才能を伸ばし、可能性を広げる学校教育の役割は大きい。

戦後、6・3・3制が長らく固定されてきて、近年、受験戦争に三年毎に駆り立てられる子どもが問題となり、高校選抜なく連続して六年間教育の受けられる中高一貫教育が始まっている。

また、稀有な才能、音楽やスポーツ理数に秀でた子どもの、大学鳶入学など、進路の複線化が進み、中学校の選択科目もあり、個性に応じた選択は、制度面ではかなり充実してきている。

さらに、特別支援教育が導入され、これまでは障害とみなされてこなかった、LD、ADHD、高機能自閉症の子ども達も、個々に応じたサポートが受けられるよう変わりつつある。制度の改革は、子どもの多様性に教師が個別に対応していく上で、大きな効果をもたらすと考えられる。

以前、偶然にも、和歌山県有田郡内の中学校で数学をみてきた生徒を、高校でも続けて数学を教えたことがあった。生徒の性格や苦手な分野を知った上で、指導するのはとても効果があった。高校になると急に暗記量が増え、自宅学習の時間も比例して増えるべきなのだが、中学時代のつもりでのんびり構えている子ども達に、高校は単位をとらないと進級できないと、丁寧に説明してやることも出来た。

自尊心の高い子どもは見守り、厳しくした方が頑張れる子どもには発破を掛け、四月最初から、無駄なトラブルなく、スムーズにコミュニケーションがとれた。中高一貫校では、こうした利点が大きいと思われる。

立派な制度をうまく活用して行くのは、教師の腕にかかっている。教えているのが進学目的の普通科であれ、専門学科や総合学科であれ、以前よりも勉強が出来るようになりたいと望む子ども達はたくさんいる。

ただ、教科書通りのペースで進める子どもと、そうではない子どもがいる。食事にたとえると、毎日お腹一杯食べてすくすく成長する子どももいれば、食が細く、一度にたくさん消化できない子ども。何でも好んで食べる子どももいれば、病気や体質で受け付けない食物のある子どももいる。学習でも食事と同様、多様な子どもが存在し、彼らに合わせたメニューを考えていく必要がある。つまり、これまでの横並び意識を改め、過度に年齢にとらわれた価値観から脱却して、子どもの個性を尊重していかねばならない。

一斉授業の中でも、個に応じた指導は可能であると思う。例えば、50分の授業の中で、基礎に重点を置いた内容と、発展的な内容を組み合わせ、全員一緒に学ぶ。あるいは、難易度の異なる課題を一セット、平等に与えて、それぞれのレベルにて立ち往生した課題で、ヒントや解決法を指導する。書物や、平面図から、具体的なイメージのわきにくい子どももいるので、時々、模型やDVDの映像を活用するなど、工夫はいくらでも出来る。

科目に関心の雨水子ども、難解な専門用語ではついていけない子ども達にでも、分かりやすい授業と言うのは、関心がありやる気があってできるこどもにとっても、わかりやすい授業であると、私は考えている。

それでも、作業スペースが遅く、理解に時間のかかる子どもや、何でも納得してから出ないと出来ない子どもへは、対応しきれない場合も考えられる。

彼らのために、補充学習で遅れを取り戻してやり、授業中に気軽に質問できるよう、ティームティーチング等も併用したほうがよいであろう。語学は、間違って暗記する前に気付いて訂正してやれるし、数学は学力差の大きい科目なので、付き添う教員が多いほど、学習効果も高まると思われる。

理科・体育・音楽などの実習では、開放感から学ぶ目的を見失いやすいので、複数の教員により、実習を楽しく意義ある授業へと導いて行った方がよい。専門家の協力を得ることが有効な場合もあるだろう。

多様な子どもは、目的別に分けて教えた方がよいと言う考えもあろう。運動能力に大差のある子ども同士、同じ協議に参加させて、お互いがやる気を失い、怪我をすることもありうる。しかし、多様な子どもが共存することで、互いが得ることは大きい。異なる才能をたたえあい、弱者をいたわりあってこそ、学校教育であろう。男女共学になったのも、そのためではないかと思う。

地元出身者から帰国子女、障害を持つ生徒から問題を起こしがちな生徒まで共存する教室で、日本や和歌山を大切に思い、未来をになうために、一人ひとりの成長に寄り添って教えて生きたいと、私は思っている。



2011年5月6日追記

制度的には小中一貫が都合が良いが、心身の発達面では中高一貫が望ましい。
勉強もスポーツも受験で途切れることなく、
試合や試験で身体を壊すことなく、
じっくり生徒を育てることが出来る。
反抗期と受験が重なる不運も少ない。

生徒は大人として扱えば、大人の分別で行動できるようになる。
私服の進学校では、通学から大学生と同じような社会人の扱いを受け、
早く精神的に成長する。
有名高校も、そのプライドから、一目を置かれて成長できる。

たとえ、底辺高であっても、責任を与えられ、自立した大人として扱ってやるべきだ。
規則を増やせば増やすほど、精神年齢が退行していく。
生徒にとっても教師にとってもお互い不幸である。

自己主張できる子どもは、他人の気持ちも推し量れる人付き合いのうまい子どもでもある。
最新のファッションに身を包む子どもは、周りの状況を良く感じ取り、
気配りのできる子どもでもある。
高校生らしくない態度や服装の子どもの方が、社会に出たとき普通にひとづきあいのできる社会人である。

社会性を身につけさせ、進路指導すべきは、
自己主張できないこどもや、勉強しか出来ない子どもの方ではないだろうか。


子供同士教えあう学びあう授業で小中学校来た子どもが、
高校で教えあおうとして、授業中の私語で叱られてしまうことがある。

指導法でなにか、共有できるものはないのだろうか。
保育園のルール(6年間過ごす子どももいる。ここで、3つ子の魂、人格がかなり形成される)、小学校(これも6年間だが、保育園より彼らは短く感じるのだろう)のルールが違うことで生じるプロブレム、
高校でようやく、自分と同レベルの同級生と同じスピードの授業を受けられると言う幸運に、
受けねらいで、冗談をうまく言えると教師や友人に好かれると思っている子ども、
友達に教えたり発言するほど平常点が上がると思っている子ども、
多様な価値観のまま来て、がっかりしてやる気を失っていないか。

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