2011年5月6日金曜日

2008年6月8日「確かな学力」の育成

2008年6月8日「確かな学力」の育成

「確かな学力」の育成には、学ぶ意欲や主体性が重要である。学力の向上のために、生徒のやる気を引き出し、家庭と連携し、基本的な生活習慣、学習意欲を確立する指導が求められている。

子ども達と出会って思うのは、ほとんどの子どもが家族や先生に褒められたいとやる気を秘めている。しかし、子ども達の行動はやる気と一致しないかのように見える。目先のテストの一点に一喜一憂し、要領よく楽に点を取りたがり、難問を解くのがかっこよく、基本をおろそかにしがちである。

友達の前で地味にコツコツとやるのは格好悪いと、こっそり家で、塾で努力し、学校ではやる気のない振りをする。教師の側は、授業で教えたことがすぐにできる子どもが多いと、自分の教え方で良いと思いがちであるが、実際はすでに塾で予習していて出来ている場合も多い。勘違いにより、生徒の理解レベルを超えた授業になると、多くの子どもはやる気だけではついて行けなくなる。その結果、学ぼうと言う意欲が薄れていくように思われる。

このように今の子ども達の学習意欲の低下は、指摘どおりに存在すると思うが、その原因の多くは、環境にあると思う。幼少の頃より、刺激の強い映像や効果音に慣らされている今の子どもに、変化の少なく結果の出にくい「普通の授業」や「教科書の実験」は退屈。不景気で精機雇用が少なく、頑張って勉強したところでいい会社や幸せな人生が待っているとは限らず、夢や希望を持ちにくい。

生活習慣にいたっては、家族の長時間労働のために、幼い子どもがひとりで食事をしたり、就寝が深夜になることもめずらしくない。移動はマイカーの後部座席でゴロゴロ。通学する体力、長時間勉強机に座る体力も不十分のところに、夜更かし、朝食抜きが重なれば、どんなに知能が高く、意識の高い生徒であっても、学び続けようという気力が失われがちであると思われる。

学習習慣以前に、多くの問題が生活面にある。

では、どのように教師は取り組むべきか。教科を教える場合、生徒一人ひとりのレベルをよく把握し、できる子もできない子も前進できるようなメニューを工夫すべきである。採点したテストでは、表面上の点数ばかりに惑わされず、生徒がなぜ間違い、何が足りないのか、正しく判断して活用すべきである。

また、客観テストばかりに頼り過ぎず、資料や自分の意見をまとめる思考力を育成し、なぜ、高校で理科を学ぶ必要があるのかを考えさせる。

授業に関心を持たせるには、目新しい実験ショーばかりでなく、最近の新聞記事で、最新科学にふれさせたり、世界的な大発見は二十代の若い頭脳で行われている例を示し、最先端の科学に自分も近づけるのではという夢や希望を与える。

また、授業中や事ある毎に、就職や進学を意識させ、資格を取ることも勧め、高卒の資格はとりわけ重要であることを認識させる。

ただ、楽しいだけでは意欲は続かない。生徒自らの目的意識を高める必要がある。

特別活動は、強化では教えにくい生活指導や、教師と生徒の関係を深める大切な機会である。生徒を多面的に捕らえ、伸ばしてやるきっかけを探るチャンスでもある。生活は学ぶときは学ぶ、スポーツするときはスポーツを楽しむ、メリハリが大切であると理解させる。

地味な準備の積み重ねが、華やかな文化祭、球技大会等を一層充実したものに変えることを、体験する。遠足で歩きながら、日頃の運動不足について考え、動植物に触れて生命について考え、忙しくじっくり考える間のない日常を離れて自分を見つめなおう事も大切だ。遠足は体力をつけ、文化に触れるという意義をも大切だ。

が、机の上の授業に戻ったときに、新しい気持ちになれるようなそんなストレス発散、気分転換を味わい、イライラ、モヤモヤしたときに気持ちをコントロールし、他人や動物、物に当たらない心の強い生徒を育成する上で、有意義であろう。集中力や持久力の育成にもつながる。

このように、教師が意識改革に取り組めば、生徒の学習意欲は改善されると思われる。ここまで書いたことは、一般的な生徒であり、実際には多様な家庭の事情、本人の病など、抱えた生徒の場合にはj個別の対応が必要であろう。

意欲の欠如ではなく、学習障害、注意欠陥多動性障害、高機能自閉症、アスベルガー症候群などの場合、教師の「気づき」が重要である。

また、発達初期に、ホスピタリズム、文化的剥奪、マターナルデプリベーションにより、学習が阻害されており、発達遅延が見られる可能性が見られる可能性も考えられる。

クラスや世代によって、同じ指導をしても反応が異なることもある。

いづれにせよ、学習意欲の向上は、あらゆる方向から働きかけ、大勢の教師が、家庭が、地域社会が協力し合う方が効果が高いと思われる。生徒が勉強に集中し、関心を持ち続けられるような環境の整備が望まれるであろう。


2011年5月6日追記

ぼうっと手持ち無沙汰になることがない。たとえ3歳や5歳の子どもでも、じっくり考える暇がないのが現代の子ども達だ。今日、友達にこんなきつい言葉を言ったな、明日、あやまろうか、などと歩きながら振り返る時間は無い。学校が終われば、即塾の送迎で、頭は塾の宿題のことに切り替わっているかもしれない。

これが原因とその結果を考える思考を妨げている。
これが、自分と友人の関係を客観視して突き放すことを妨げている。

自転車にきちんと座れない、電車の椅子にきちんと座れない子ども。
学校の椅子に座れない子どもが会社でデスクワークが出来るであろうか?

企業に問いたい。良い社員が欲しい。学校で、きちんと社会人として自立できるよう教えてくれ。
というが、企業に、優秀な子ども達を社会全体で育てていこうという気構えがあるのか。
今の社員の子どもが、次の社員の卵である。
今の社員を大切にし、きちんと子どもと向き合えるような投資をすることが、
次世代の優秀な社員につながる。

大学は高校のせいに、高校は中学の所為に、小中は保育園や保護者の所為にばかりしていては、
物事は解決しない。その生徒が、未来の保護者である。

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